thewhitenotes

今日も元気(だといいな)

忘れちゃうのが惜しいとは思うんだけど(3000文字)

憧れのブログってありませんか?

私が「白背景のシンプルなブログ」にこだわり続けている理由。それは…Rさんの「携帯写影」。http://hemp.blog1.fc2.com

 

今までのタイトル画像も、とってもスタイリッシュ!
http://hemp.blog1.fc2.com/blog-entry-363.html

 

Rさんとの出会いは確か、FC2ブログ以前の「MEMORIZE」時代。

その頃私は学生で、画像がごちゃごちゃした感じのテンプレートが好きで、ついつい「1KBの素材屋さん」でピンク色や水色のチェック模様の背景をダウンロードして使っていました。でも、Rさんは潔く美しく真っ白なテンプレート!非常に強い印象が残っていました。しかも、長文を書きたくてしかたない病気を持つ言語オタクの私とは違い携帯電話で撮影した画像をペタリ、というこれまた更に潔く美しいスタイル。憧れたけど私にはできません…エンピツ( http://enpitu.ne.jp )の「ドロップシャドウ」や「プチアイコン原色」( http://enpitu.ne.jp/tool/design.cgi ここの下の方に見本があります)を使うのが精いっぱいでした。

 

メモライズライブドアに飲み込まれて消滅(ブログ形式になり、元の日記形式が消えたので「消滅」)した後はエンピツ日記を5年から6年利用しました。元の場所に戻ろうか迷いましたが、自分のドメインをGETしたのでもう戻らないことに決めています…もし自分のサイトを維持するのが難しくなったとしても。

 

年単位のログは大事にCD-Rに焼いて、更にクラウドに置いてあります。およそ20年前の、約5年分の日記はあまりにも貴重です。しかし、自分の正気を疑っている理由の一つとして、アナログの手帳にもこまごまと書きつけていたことです。実は…それは、今もなんですよね…大人になってから自分の日記帳だと思っているサイトに書き込む量は減ったものの、いまだにデジタルアナログ両方に書いています。私は本当に正気なのでしょうか?

 

そして子どもたちの存在が親としての自分の収納スペースを圧してきたため、アナログ日記帳を10年連用日記にして4年目です。厚みがさすがに毎日堪えるから、6年後にはきっと5年連用日記を買うことになるかと思います。続ける気なんですよ、私。ただ、持ち歩き用の手帳をB6に格上げしたしもしかしたらそこに全部書けるならそうしようかと考えています。予定が更に増えて、そんなことは無理だろうとは想像がついていますけれども。夫はこんな私に呆れています。

 

私の書きたい欲は限界を知らず、更にFediverseに文字を激しく打ち込むことまで始めました。Twitter/Xの比ではありません。もうここまでくると確かに根本的にRさんのような潔く美しいブログを作るなんて私には無理だったんだなと思わされます。個性、ここまで憧れをひっくり返すレベルの存在感があるんですね。自作サイトやめたいなと思ってもやめられなかったんです、むしろ変な趣味に入れこまなくて済むんだからこのまま続行するのが正しい趣味の使い方なのかもしれません。世の中はそんなこと求めていませんから、私が取りつかれているだけなんですよね、見返りのない狂気の情熱、もうちょっと正気に近かったらもう2つほど言語をマスターして警察か裁判所に貢献するべきですね。中国語学習者として多少は手伝ってるけど、まあ…ぼちぼちがんばります…。クルド語はいいから(除外していいなんて何かあったのか、あてが見つかったのかのどっちかかなあ)もうロシア語とウクライナ語をやってくれとは言われています…なんというか、世の中学校の成績が優秀な人に奨学金をまいてやればいいと思っている人がけっこうな大多数だと思いますが、私はそこまで優秀ではないけれど必要とされる種類の人間のようです。たぶん成績以上に信用度だよなあと思ったりしますね、いわゆるエリートが社会的カルト(宗教に限らず、思想)の手足になっちゃうの、昔からありますから。

 

話が逸れましたね、ごめんなさい。日記っていうのは、その日に何が起きたか、何をしたか、何を見て何を感じたか、に集約されます。一番大事なのは最後の「何を見て何を感じたか」です。いまはストリーミングサービスもいっぱいあるし、そのときでないと見られないもの、聴けないものというものがほぼありません。その時に感じたことと今の自分が感じること、全然違うことがありますよね。それが一番「その日の自分」を表しています。

 

インターネットに触れる以前の自分の行動や感情は繰り返し夢に見ます。幼い頃親が自宅として借りていたボロ屋を退去した後、電気ガス水道全部止まっているにもかかわらずこっそり入り込んでぼんやりしていたのも、言葉にならない思い出です。あの時の自分は手帳にそれを書きませんでした。書けなかったのです、書くためには内容が必要ですが、いまだに言葉にならない経験だったからです。あのとき私は靴のまま上がり、自分の眠っていた部屋や風呂場、日本の古い仕立てのタンス、父のレコードプレーヤー、私はほとんど開けなかった納戸などを見ていました。私のものであり私のものでない場所、そしてこの経験は親の店を閉めて片付けてもらうために頼んだ業者さんが引き払った後の物件を訪れた時も似たような心情になりました。この時のことも私は日記に「空っぽになった店を見に行った、もううちの店ではない」としか書いていません。何を思ったのか、それが空っぽであれば書きようがありません。

 

40歳をすぎて驚いたことに、そういったことを忘れていくのです。記憶が人を形作ると思っていた私には非常に大きな衝撃がありました。何かを忘れても自分として確かに存在しているのは、はっきりいって奇妙です。そもそも、ある言語を学び始める前の感覚は思い出せませんが、学び進めていく途中の感覚は覚えています。学び始めたばかりの頃は何でもはっきりと聴こえません。大量に聴いてはダイアログを読んで、音声に慣れて、文字に慣れて、それでようやくだんだんはっきりと聴こえるようになります。どの言語もそうです。学んで使えるようになったころには、そのことばが聞こえなかった頃の感覚がありませんし覚えていません。もとの自分を忘れています。

 

毎日古い自分が死んで新しく生まれているのだという文が伝統的キリスト教にはあります。たぶん正教会カトリックルター派までしかこの発想はないかもしれません。これは教会暦というものがかかわっていて、1年・1週間・1日の中でイイススハリストスの生涯を追って経験するといった目的で作られています。つまり夜眠ったら「死」を意味し、朝起きたら「生」を意味するわけです。修道院だとこれが時課といって何時にそれにあたる祈りをやる、といった感じでもっと具体的になります。

 

もしかしたら、そういう意図ではないとしても、いつか自分の何かが失われるとき同時に自分の何かが新しくなるのかもしれません。言葉になるものは日記に書けるけど、ならないものは…どんどん失われてしまう、でもそれをそんなに惜しまなくてもいいのかな、と最近になってようやく思えるようになりました。