私が正気のまま生きてるって、そんなことは言ってない
タイトルのままのことを主張します。今私は金欠だから比較的よそ様の「正気」の基準に近い生活をしていますが、だからといって私が常に正気を保っているとは絶対に言えません。
多読
読んでさえいれば、おとなしく日常を過ごしているように見えるじゃないですか。図書館に借りに行く時間・交通手段さえ確保できれば本を読むようにしていますが、その状況下にない場合は読む相手がSNSでも評論(NIRA総研や笹川平和財団)でもNHKニュースのレポートでも構いません。
言語
言語学習に触れてさえいれば、悪夢の原因になっているものから心理的に離れていられます。英語で夢を見るといつも仕事の話ばかり、中国語や台湾語では過去の愛を喪失する経験を追体験させられ、ドイツ語では長時間歩いても平気な彼らとの友情の喪失体験を思い出させられ、私の内面にはうず高く悲しみばかり積もっています。これを打ち消すために常にロシア語や教会スラブ語(正式には「古代教会スラブ語」と呼びますが長いので私はただ「教会スラブ語」としか呼びません)を何度も思い出して過ごしています。
家庭
家庭を大事に過ごしていれば、とにかく現実の私は安泰です。家庭には過去も憂いも悲しみもありません、現実と現在だけがそこにあります。ただしいつまでもお母さんではいられませんから、無事に自殺率の高い20代を通り過ぎることができるように、その辺までを考えています。
私の望みは、早く人生を「くだらなくない流れで」終わらせられるようにということです。われらの父よ、よき終わりをたまえよ。
連続声調変化の謎解き: 台湾語学習者への道
今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」
2024年はびっくりするほど衝動的にキラキラしたアクリルキーホルダーを買って毎日眺めたり、突然指が「ヘバーデン結節」を起こし整形外科の医師に「うーん、この指のこの関節にはもう軟骨が入っていませんねえ」などと言われたりしていました。あと、派手な服装をすっかりやめて、とにかくお洗濯して干すとすぐ乾くUNIQLOエアリズムにハマりワンピースとTシャツを買って毎日着用していました。夏があまりに長くて、あれを買って本当によかったと思います。2024年末には長かった髪をバッサリ切って、指に負担がかからないように気を付けております。年末年始の時期がすっかり終わりましたら手術であるとかそういった相談に行く予定です。指は小さく細かいため、手術の担当を好まない場合があるなどといった記事を読んで不安を感じたため早くても1月末に話を持っていこうと思います。
2025年は余計な支出を減らして、穏やかに過ごしたいと思っています。まず尊敬するイラリオン府主教による著書「毎日の福音」と、憧れの写真家・石川直樹さんを常に思い出したいがためにヒマラヤ水晶のペンダントを注文。彼らのようなストイックかつ穏やかな生活を心掛けたいと思っています。またミドリ・デザインフィルの「ポケットダイアリー」に普段毎日何かしら書きつけていますが、それを続けようと思っています。余裕があれば「他人のために動くのが良い」といった人生哲学を持つゲッターズ飯田さんの書籍を買ってみたいと思います。優しくありたいとは常々思っています。私には尊敬する人が必要らしいです、誰でもそうじゃないの、とは思うんですけど。彼の占いカテゴリーでは私は「金の羅針盤座」だそうです。「本音はひとが苦手」とかありましたが、言うほどそうでもないので(体調不良などが起きても助けてもらえそうなヒトの姿が見えない住宅街が今でも怖いし)まあそれはそれでって感じです。
今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」
KAGAYA「星空の楽しみかた」
写真がいい。ただもうちょっと装備の説明が欲しかった。最初の方で軽く説明しただけで、具体的な説明がない。一般的な解説書として見る分には十分。
勝手な思い込みと長い髪、そして三つ編み
私は(今のところ)髪がとても長い。伸ばしたというより、切りに行く暇がない上に、夫が「あの安い(予約不可の)美容院に行け」と指定してくるため、ほぼ不可能になってしまった。あらゆる人が私の極端に長くなった髪を切れ、切れ、と勧めるのだが他人の髪の毛なんか正直どうでもいい話なので、それだけ私と話せるような内容が見つからないだけだろう。ボウボウと音を立てるように伸びた男の人の髪の毛だって、グッシャグッシャになったハチの巣のような立派な頭の持ち主にだって、髪を切るように言うのはおそらく職業上の見た目を気にした人くらいなもんである。
じゃあ、なんで彼らはどうでもいいヘアカットを勧めてくるのか。正直私は中途半端な長さに切るくらいだったらベリーショートにして少年漫画の主人公みたいに髪をおったてて顔にかからないようにした方が気が楽だ。でも、ベリショにしようかな~というと拒否反応が見える。えっ、だって君も切れって言ったじゃん…
来月、なんとか予約をねじこんだので背中までキッチリ編み込んだ三つ編みをばっさり切るつもりでいる。どういうわけか、多くの人は三つ編みを未婚の少女の髪型だとばかり思っている。私としてはこんなに便利な髪型はない。そういえば、スラブ系の人々は三つ編みを聖なるものだと思っており、未婚の女子は後ろで一本の三つ編みにし、既婚女性は自分と子どものための祈りとして二本の三つ編みを編んでいたとよく聞く。
私は指が痛くなってきたので古代のスラブ人女性を思い起こしながら髪を編むのがだんだん楽しみから苦痛へと変わってきてしまった。この痛みさえなければこの三つ編みはお尻まで伸びていったかもしれない。私はむかし、旧約聖書を読んで「髪を編んではいけない」と考える人がいることを知り、できる限り無難であることを優先するため髪を編むことはなかった。背中までのばし、腰までのばしても。ただ、髪を編むのは華美を装うためではなく髪が汚れないようにするため、そして髪が何かに巻き込まれたりするのを防ぐためだった。また、摩擦で髪の表面、キューティクルが傷つくのを防ぐためだろう。それに編むと本来の髪の毛の長さより少し短くなる。
手がもし治ることがあれば、また伸ばそうと思う。